またまた、車の記事ではありませんが、よろしければお読みください! 

沖縄は日本(本土)の身代わりになった、、その言葉は私が沖縄に住んだ1年半で2回は聞き来ました。 

沖縄が日本の身代わりになったの意味は第二次世界大戦でアメリカ軍から一方的にヒドイ攻撃を受け多くの民間人が殺された! 

1972年5月15日に沖縄が日本へ返還されるまでアメリカ占領下でヒドイ差別を受けてきた、苦しんだ。 

そんな占領下ではドルを使い、車は左ハンドルの右側通行でした。 

米兵相手の仕事が中心で生きて行かざるを得なかった、日本から見捨てられた状態で30年近くも過ごさざるを得なかった。 

返還後の今でもアメリカ軍基地が沖縄全土にある、米兵が起こす事件が多くある、飛行機やヘリコプターの部品が民家に落ちるなど事故も多発している、、、 

それが1945年から2022年まで続いている沖縄県民の苦しみなんです。 

2022年5月のバイデン大統領来日でも専用機エアフォースONEは羽田ではなく米軍横田空軍基地に降りた! 

その意味は、日本にある米軍基地全てはアメリカ領土だから、日本ではないだからです。 

まぁあ、大昔、横田空軍基地の司令官(アメリカ人)と都内にある上級米軍専用施設でディナーした経験あるので、あまり悪くは書けませんが事実は事実です。 

では、そんな沖縄が心優しいアナタに生き易い場所となるのはナゼなんでしょうか? 

沖縄に約1年半近く住んだ私が実経験でお伝えしていきます。

沖縄県民と自然はアナタの心を優しく包む!

始めから真面目の結論です。 

沖縄県民は県外から来たアナタを攻撃(口撃)することはありません! 

いつも穏やかに静かに他から来たアナタ(達)を迎てくれます。※経験者は語る 

私家族が北から南まで多くの道府県に住むには結構な苦労をしました、よそ者差別に多くあいました。 

でも&しかし、沖縄だけはいつも優しく私と家族を受け入れてくれました。 

それを説明する前に、他の道府県がどうだったかまとめてお伝えします。※私は東京生まれ育ち&在住です。

沖縄以外の道府県はアウトだった!

個人的に北から南まで家族で住む体験を数年間続けましたが、本州の道府県ではクセのある人達がとても多かった、他から来た人達をあまり良く思わない、他から来た人たちは地元のルールを学ぶべきだ、従うべきだ、そんな意識が強くある様でした。 

その最たるものが地元の不動産屋です。※今思い出しても腹立たしい。 

多くの道府県で不動産屋にこういわれました(北海道除く)「地方から来た人には家を貸したくない」、それです。 

例外は、企業転勤で来た人(家族)になら部屋はお貸しますが、それ以外はお断りしています、それでした。 

ある現地不動産屋で聞けましたが、家やマンション貸すオーナー達もよそ者を嫌っている、だ・か・ら・地方での賃貸物件探しは超大変、それが普通の様です。 

そうするにはよそ者嫌うもありますが、さらに地方に行けば行くほどに差別意識が強くある、それも学びました。 

幾つもの府県では、橋(川)を渡ると急に家賃が下がる、少し雰囲気が変わる、何らかの特定地域がある様に感じる、それら経験を何十回もしてきました。 

後に、どうしてそうなるか分かった時には腹立たしさと虚しさ、悲しさを感じる自分がありました。 

それら地域にはアナタも学生時代に習ったであろう「差別されている人達が住んでいる」、それです。 

地方になる程に、それら差別がえげつない、それは私個人の感覚でした。 

そんな差別の中には、こんなこともありました。

田舎を生きるルールは時代錯誤スギル!

ある地方、山間地域にある町では、こんな経験をしました。 

地元の人にアイサツしてもあまり返答してもらえなかった。 

町の寄り合いに参加しても受け入れられてない感じが強くした。

 町の寄り合いで発言してもほぼ無視されている経験をした。

 無視されるの意味は、新参者には発言権がない、、それです。 

日用品購入でも地元に古くからある店で買うルールがあった!? 

それを知らず遠く離れた便利スーパーで買い物すれば結構アウトになる!? 

ゴミ出しでも書面以外の暗黙ルールが存在した、クレームされた! 

本当に田舎で住むにはいろんな問題あった、初めての多くを経験せざる得なかった、です。 

じゃあ、何で都内の楽チン生活から田舎を転々とするんだ?、、ですよね?

都内なら、地方比較で全てが揃っている、物価は競争によりとても安い(地方、田舎の物価比較で)、車が無くても電車、バス、タクシーで安く安全に移動できる、、ある意味に於いて天国かもです。 

それでも地方転々とする訳は、都内よりもっと楽チン&チンの天国がないかなぁあ、そこに住んで見たいなぁあ、それでした。 

仕事はパソコン1つでやれるので、本当にストレスなく生きれる場所を探し求め転々としていました。 

北海道から始めた転々経験でしたが、最後に辿り着いた沖縄が精神的に求めていた場所、それが判明したんです。

沖縄が探し求めていた場所になった訳とは何か?

沖縄が探し求めていた場所になったのは、人にも自然も優しい心休まる地だったからでした、以下;※私と家族の思い込み部分も少し含まれます。 

沖縄で最初の一か月程はホテル暮らしもあり、地元の人達とのコミュニケーションは殆どありませんでした。 

でも&しかし、タクシーに乗ったり、レンタカーで走りまくって気付いたことがありました。 

「そう言えば、一か月近くクラクションの音を聞いてない、自分も鳴らしていない」、それです。 

タクシーさんに聞くと、「沖縄人がクラクションを鳴らすことはありません」、、でした。 

ナゼの問いには少し曖昧な表現でこう教えてくれました。 

相手(運転手)の気分が悪くなるでしょう!? 相手に失礼な行為でしょう!? 

その後、1年半近く沖縄に住んで理解したのは「どんな些細なことでも諍い(いさかい)、問題を起こしたくない」、それが沖縄県人がクラクションしない理由でした。 

どうして沖縄人がそうなったのかと言えば、太古からサンゴ礁ベースの小さい島々で生きるには、生き残るには「温和に生きる、可能な限り人や周りと問題を起こさない」、、です。 

それを経験し理解した私は思い出しました。 

あっ、だ・か・ら・大田区蒲田のバイト仲間だった彼も、大学の同級生も、アメリカでトテモ親切にしてくれたあの人も、みんな沖縄人だった、それです。 

そんな沖縄人のことでは、沖縄でご近所さんだった老夫婦に教えられました。 

「沖縄では目上の人をうやまう、尊敬する、争いを好まない」、それです。 

だから、多くの沖縄県民は目上の人、初めて会う人、他から来た我々を優しく受け入れてくれる、それなんです。 もう少し沖縄にした訳を知って下さい!

沖縄県民はとても優しく犯罪も少ないとこだった!

昔、沖縄で初めて夜遅くに見た人は、路肩に段ボールも敷かずに寝ているオジサンでした。 

それを見た時は、酒に酔って寝ているのかなぁあ、、でしたが、、数日後も同じオジサンを見たので路上生活者だったことが判明しました。 

それだけ沖縄は温暖で人々も大らかで安心できる場所なんです、きっと!※個人の考え 

そんな私と家族がどうして心休まる沖縄から東京に戻ったのでしょうか? 

沖縄に住んだ1年半程に何があったのでしょうか? 次でお伝えします!

全て満たされている土地は多分どこにも存在しない!?

沖縄は冬場でも15度から20度程にしか下がらない、4月のどこかなら海開きで泳げる、冬服は要らない、沖縄県人たちは優しい、本州で良くある変な差別などされることもない、人との争いが極端に少ないので生きるのが楽だ、、でも我が家は便利な都内に戻りました。 

その理由は、全てに於いてトップのモノが手に入らなかったから、美味しい食べ物あっても地元産ではとても限定されてしまう。 

フレンチ、イタリアン、中華、韓国料理、それらレストランも超少ない、都内比較でとてもオイシイ店はなかった。 

家で好きな洋食作ろうにも関係食材も手に入らない、好きな車あってもディーラーがない若しくはディーラーに在庫部品(タイヤ他)が無い、、、 車修理でも部品がない、タイヤ交換でも本州から取り寄せるので数週間待ち+沖縄価格、、等々もっと沢山ありました。 

都内では普通に多くある高度医療受けられる病院も少ない、、、もしもの救急車や消防車はどうなんだ? 

それら含め長くめば住むほどに不安になってしまい、都内にもどりました、、溢れかえる自然と引き換えに都内に戻りました、、です。 

あつ、沖縄の台風では超強風で真横に風も雨も流れる、スゴイ風雨の音で恐怖さえ感じる、それによる停電も度々ある、それら恐怖うあ不便もありました。 

でも&しかし、上記を問題ないとするアナタなら心穏やかに住める沖縄、それは間違いありません! 

まとめ前に、1つ9,000キロ離れた住みやすい場所を国をお伝えします。

沖縄の話からフィンランドって何でやねん!?

サラリーマン時代に住んで良かったのはフィンランドの首都ヘルシンキでした。 

常夏の国から真冬の国って何でやねん? ですよね? 

ヘルシンキは1年住みながら毎月の様にデンマーク、ノルウェー、フランス、ドイツ、イタリアなど仕事で周っていました。 

そこで私が学んだのはフィンランドは北欧&ヨーロッパで最もリラックスできる国、それでした。 

まぁあ、一番好きな国はイタリアやスペインでも、人々との付き合いは楽しくてもいつもハイテンションでは疲れてしまった、たまには静かに放っておいて、それでした。 

そこにくとフィンランド人は寡黙、道ですれ違う時も相手から目を背ける、とても大人しく&シャイな国民性でした。 

1年近い居住経験で、半年間はフィンランド人達とアパート生活、でも何も嫌なことも不都合なこともありませんでした。 

理由は、沖縄人と少し似ていますが、フィンランド人はシャイだったから、しらふの時は大人しかったからです。 

でも&しかし、酒を飲ませる、倒れるまで飲み続ける、それって沖縄人文化とも少し似ています!?

もっと大酒のみでウォッカ50度ドンドン飲むロシア人は信じられませんでしたが!

今、問題になっているロシア人達もウォッカをストレートでガンガン飲んで寒さや貧しさを紛らわせていたのを思い出します。

だから少し前迄ロシア人平均寿命は50歳前後だった、それです。※私がフィンランドに住んでいた頃のロシア人平均寿命です。 

まとめ前に2024年1月4日の最新記事もどうぞ!

高齢者の地方移住で超勘違いする6つとは何か? 都会から田舎へ引っ越す!

まとめです。

争い嫌う心優しいアナタは沖縄に住むしかない!験者は語るシリーズ②:まとめ

記事冒頭に沖縄は過去からどんな経験をしてきたのか、今でも本州比較で多くの問題抱えている、それも書かせて頂きました。 

でも&しかし、沖縄県民は本州から来る我々を優しく受け入れてくれます、、旅行者じゃない居住者でも! 

一度、タクシーさんに聞いたことが有るのですが、沖縄が日本に復帰した1972年以降、数百万人が本州から沖縄に移り住んでいる、それ程に人気な沖縄県なんです。 

私が沖縄に住んでいた2012年当時、同マンション隣人からは沖縄最高(東北出身者)、俺は沖縄大好きなんだ、、、そういつも話していました。

 私も沖縄の自然環境と人々には大変良くしてもらいました、癒されました、ウツも楽になりました、、それら事実はお伝えします。 

本日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。 

また、「探し物スリー!」で会いましょう!